自分は「できる」と思っていませんか?
教師を長く続けていると、ふとした瞬間に「自分はデキる」という錯覚に陥ることがあります。
- 児童・生徒から慕われ、人気がある。
- 保護者から「先生が担任でよかった」と感謝される。
- 同僚や上司から、指導力を高く評価される。
これらは素晴らしい成果です。しかし、ここで「奢り高ぶる」ことこそが、最も危険な罠になります。
自分は正しい」「自分はデキる」というプライドが肥大すると、無意識のうちに周りへの配慮が欠け、他者の意見を聞き入れる心の余裕がなくなります。
どれだけ褒められても、常に「自分も間違えるかもしれない」「まだ学べることはある」という謙虚さを持っておくこと。
それは自分を卑下することではありません。むしろ、周囲からの嫉妬や反発を避け、トラブルを未然に防ぎ、いざという時に周囲の助けを得やすくするための、賢い「立ち回り」なのです。
あなたの周りにも、パッと思い浮かぶ人がいるのではないでしょうか。 自信満々で、自分の正しさを疑わず、一見すると「仕事ができる強い人」に見える先生。
確かに、その場では自分の思い通りに物事を進められるかもしれません。しかし、周りからの評価はどうでしょうか?
- 「あの人には何を言っても無駄だ」と、周囲が口を閉ざす。
- 困った時に、誰も手を差し伸べてくれない。
- 影で「あの人はちょっと……」と、信頼を失っている。
本人が気づかないうちに、一番大切な「周囲からの協力」という資産を切り崩しているのです。これは、教師というチーム戦の現場において、致命的な「損」です。
「私はまだ未熟です」「助けてください」と謙虚に振る舞える先生は、周りからサポートを受けやすく、結果として大きなトラブルに巻き込まれにくいのです。
「奢り」は一時的な優越感を与えてくれますが、「謙虚さ」は長期的な安全と信頼を与えてくれます。 20年のキャリアがあったからこそ、私は自分に言い聞かせていました。 「奢り高ぶるな。常に謙虚であれ。それが自分を救うことになるのだから」と。
ただし、一つだけ勘違いしないでください。 「謙虚であること」と「自分を卑下すること」は違います。
今のままで、あなたは十分頑張っています。完璧である必要はありません。 明石家さんまさんの言葉を借りれば、「生きてるだけで丸儲け」です。
適応障害を経験した私だから言えます。 死ぬ気で頑張る必要なんてありません。まずは自分を大切に、今日一日を生き抜く。それだけで、あなたは教師として、一人の人間として、100点満点なのです。
