私の教員人生の中で、一番嫌われていた先生の特徴
私が今まで見てきた中で「一番嫌われていた先生」は、皮肉にも非常に容姿が整った、いわゆる「イケメン」でした。若い頃は女性関係も派手だったと聞きます。しかし、彼が周囲に振りまいていたのは、魅力ではなく「毒」でした。
1. 卑怯な「手柄の横取り」と「責任転嫁」
彼はとにかく自分の評価にしか興味がありませんでした。
- プロジェクトが成功すれば「自分が指示を出したからだ」と吹聴する。
- 予期せぬミスが起きれば、瞬時に「あなたの確認不足だ」と責任を押し付ける。 部下や後輩を「自分の評価を上げるための踏み台」としか思っていないその姿は、周囲の信頼を砂のようにこぼれ落ちさせていきました。
- 皆でまとめた研修を、あたかも自分が考えたかのようにまとめ、発表して、賞をとり、賞金まで貰っていました・・・。
- 彼はその学年の主任だったのですが、生徒の良いことを保護者に伝えるときは担任を差し置いて自分がしゃしゃり出ていくのですが、悪いことを伝える時には一切自分から伝えようとしませんでした・・・。
2. 「ずるい」
自分のミスは絶対に認めない。平気で嘘をつく。 人を蹴落としてまで上に立とうとするその執着心は、一見「仕事ができる人」の情熱に見えることもありますが、実態はただの「自己保身」です。 誰かの失敗を心の中で喜び、それを利用して自分の地位を固める。そんな「ずるさ」は、隠しているつもりでも、必ず日々の言動に滲み出ます。
- 仕事は基本全部振る人でした。また人手不足の時は、学年の級外の先生が入るように指示を出すような人でした。
- 私が勤務していた学校は、朝の時間に10分ランニングが毎日あったのですが、一回も出たことはありません。基本ずっと職員室にいる人でした。私含めクラス担任の先生達は、生徒と一緒に暑い日も寒い日も外に出てランニングをしているのに・・・。
3. 「善良さ」のない強さの、あまりに虚しい末路
彼は短期的には要領よく立ち回り、出世や評価を手にしたかもしれません。 しかし、20年経った今、私の記憶に残っているのは彼の「功績」ではなく、彼に傷つけられた人たちの悲しみと、彼に向けられた冷ややかな視線だけです。
外見が良くても、仕事ができるフリをしても、『善良さ』が欠如している人は、最後には誰からも助けてもらえなくなります。 人を蹴落として得た勝利に、価値はありません。 20年という長いスパンで見れば、損をしてでも誠実でい続けた人の方が、結果的に豊かな人間関係という財産を手に入れるのです。
なぜ「嫌われる彼」が学年主任になれたのか?
彼に対する周囲の拒絶反応は決定的でした。学年の先生全員が彼のことを快く思っておらず、実際、校長面談の場では何人もの教員が彼について窮状を訴えたほどです。組織として、これほど「現場から望まれないリーダー」も珍しいでしょう。
しかし、不思議なことに、そんな彼が「学年主任」というポストに就いてしまうのが、学校組織の不可解なところです。
管理職になる人の「2つのタイプ」
20年現場を見てきて気づいたのは、管理職(あるいはリーダー層)になる人には、大きく分けて2つの種類が存在するということです。
- 人を押し退けてでも上に上がろうとする「利己型」 彼のパターンです。手柄を独占し、責任を誰かに押し付け、権力を持つ者にだけ良い顔をする。このタイプは、上層部へのアピールが異常に上手いため、現場の疲弊をよそにスルスルと出世の階段を登っていくことがあります。
- 人徳と信頼を積み重ねた「徳望型」 周囲から「この人のためなら」と慕われ、推されてリーダーになる人。本当に良い人で、組織の調和を第一に考えるタイプです。
「あんな人でも出世できる」という現実は、時に私たちの働く意欲を削ぎます。しかし、人を蹴落として得た椅子に座っている人の末路は、いつも孤独です。 「人徳」で上に立つか、「ずるさ」で上に立つか。 どちらの生き方を選ぶかが、その後の教員人生の「豊かさ」を決定づけます。
